人間の死ぬ時なんて呆気ない。

飴(あめ)

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今実家の母から電話。

89歳、おばあちゃん亡くなった。

2人いた私のおばあちゃん。
大学時代明治大正昭和平成と生きた母方のおばあちゃんが亡くなった。
母方という事ともあり、月1ペースで泊まりに行って可愛がってもらった。
父方のおばあちゃんは、盆正月とゴールデンウイークにだけ会う、少しよそよそしい感じ。私が北九州で働くようになってからは、一人暮らししてる祖母の買い物を付き合ったり、祖母にケータイを持たせたりしたっけ。メールもじゃんじゃんするハイテクおばあちゃんだった。一昨年から父と同居するようになるが、部屋の準備が出来るまで、天神の私のマンションに数日泊まったこともあったっけ。今年私は母となりひ孫をプレゼントすることができた。
歩くようになったら散歩行こうね、幼稚園の入園式手を引いて行きたいよ、ランドセル買ってやるよ、と言ってたじゃん。言ってたのに。
いつもそう。
人の一生の終わりなんてこんなもの。
呆気ない。
知ってる、よく知ってるのに、脳はとっても意地悪で、走馬灯のように記憶が駆け巡る。昨日のことのように思い出され、涙が出る。
死に目に逢えても、今回のように逢えなくても、死ぬほど哀しいね。
いつか父母も死に、私も死ぬ。
我が子も今の私のようの気持ちをこれこら知っていくことになるかと思うと辛い。でも、大人は生きる事と死ぬということ教える為にいるんだよね。
私はその為にいると思ってる。
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